2000. 7.13~15
山笠
上田さんが山笠に参加されてるらしいと知った約20年くらい前から山笠のニュースがあるたびに画面の中にいつも上田さんの姿を探していたり、中継があるって知ってから中継を見てたりとTVでは山笠は見て来てた。ネットを始めてからもあちこち山笠関連のHPもサーフィンしたし、"知識"としては山笠がどういうものかはわかってたつもりだった。
でも、"生"は初めて!"百聞は一見にしかず"とはよく言ったものやっぱりこのお祭りはリアルタイムでその場所で感じなければわからないものがたくさんあった。
一番最初に舁き山を見たのが中洲流の"流れ舁き"だった。ちょうどライブの前にホテルに戻ろうとしていた時に通りかかった中洲の街中から"オイサ!オイサ!"の掛声が聞えてきたのである。「あ!もしかして動いてる山が見れるかもしれないね!」と声の方へいけども山は動いてる気配がない。最初は「??」だった私達もその"オイサ!"がなんだったのか気がついた。この掛声、てっきり山を舁いている時だけの掛声だと思い込んでいたんだけどその声は舁き山がある場所(当番町なのかなぁ?)へ各構成町の方々が集まってくる時にこの掛声と共に実に整然と並んで駆け足で来るのである。一人一人が時間までにぱらぱらと集まってくるということではないこと事体が私には驚きだった。うまい言葉が見つからないけど"全てが団体行動"。いくつもある"町"の人達が"オイサ!"または"オッショイ!"の掛声と共に次々と団体で現われる様を見てるだけでもなんだか身が引き締まるような気になる。そして必ず舁き山がある場所に到着すると整然と並んだまま"手一本"を打ち始めて隊を崩すといった感じなのだ。中には茶パツの今風のにいちゃんもたくさんいるけどみんながみんな年配の方の指示に従ってあちこち自分の分担をこなしてる様子なども見ていて気持ちがいい。交通整理に走る人、"勢い水"を準備する人・・・町全体が山笠に染まってくる。走る山だけじゃないこういった雰囲気も全部含めて山笠。そこにはもしかしたら日本人が失いかけている古き良き時代の礼節とか日本の本来の姿が残っている。そう思っていた。"個人主義""個性の尊重"の名の元にどっかで"みんな一緒に何かをする"ということが軽んじられてきてる風にもとれるこの頃。"強制"というのは確かによくないけどそうじゃない同じ気持ちの人達がたくさん集まって物事を成し遂げるために必要なルールが暗黙のうちに成立してて上下関係にも"上役"のかたへの絶対の信頼があってすごくいい人間関係のもとに成り立っているお祭りなんだと・・・う~~んこんな言葉では自分が感じてきたことが伝わってない気がするけど・・・言いたいことわかります??とにかく日本全体がいつもこんな気持ちで動いていたら変な事件も起きないし、子供たちもちゃんと育って行くのになと思う私がいたりして・・・こういう中で育っていく子供は幸せだと思う。
初めて見た動く山はあっけないくらいあっという間に目の前を通り過ぎて行ってしまったけどその迫力はすごいものがある。決して広くない通りを一気に走りぬけていくう~ん、男の祭りだねぇ~あちこちから飛ぶ"勢い水"もその勇壮さに華を添えてる。TVなんかじゃ伝わらない!山の男達がみんなステキに見えちゃう!(笑)
あとはクライマックスの"追い山"ホテルに戻っている時間もなんだかもったいなくてずーっと冷泉公園の恵比須流が待機している場所でその様子を感じていた。ここでも流れ舁き同様、今度はいろんな流れのいろいろな町の人々が次々と隊をなして"オイサ!""オッショイ!"の掛声と共にあちこちから集結する。そして一つの町が到着するたびに手一本で"山"に対して"挨拶"がある。舁き山には一人ずっと前を見据えたままにこりともしないで台にあがっている人がいてそのたびに挨拶に答えておられるわけで・・・そんな姿がとにかくかっこいいのである。ずーっと同じ光景を見ているのにちっとも飽きない。「ああ、こういうのっていいなぁ」ひたすらそう思っていました。
そして始まった"追い山"ずっと山が待機している場所にいたので前の山が出発する毎に次の山が山止めにスタンバイする様子を見ていた。この場所は中継で見慣れている場所。でもやっぱりここでもTVじゃわからなかったことに気がついた。・・・・"山"は決して歩かない・・・"追い山"の最中だけ走っているのではない始まる前も終った後も山が動く時は"走っている"のである。たった2,30mほどの距離だって掛声と共に走り出し急ブレーキをかけたかのように止まるのである。その呼吸はホントに見事なくらいぴったりでただただ感心。
上田さんが懇親会の時に一生懸命説明しておられた事を思い出した。「山は1tあって普通の御神輿のように担げない。だから山笠では"担ぐ"という言葉は使わないで"担う"とか"舁く"という。実際山を舁く人は"山に付く"というんだけどついている人は山を持ち上げるだけで精一杯で山を動かすことはできない。後押しをしてくれる人がいて始めて山は動く。」理屈では分かっていたはずのそんな"山が動く仕組み"がよくわかった。そして「"追い山"だけにでるというのは一番いけないやりかた。ならしや山見せ、流れ舁きをやりながら体を山に慣らしていかないと危ない」などなどなるほどただ盛り上がるために祭りが続いてるわけじゃなくものすごく理に適った祭りの流れがあるのだと実感した。
更にはもっと感心したのがその引き際の見事さ!一番最後の恵比須流を追いかけていたので途中で既に廻り止めにゴールし終えた山にであったのだけどやっぱり山は走っていた。けど・・・けどである。その舁き山は詰所に戻るや否や"祝いめでた"を唄ったあとあっという間に解体されていくのである。まだ最後の山が廻り止めに到着していないのに・・・・。
恵比須流もしかり。"追い山"が終っても詰所に戻るまでは暗黙のうちに舁き山優先。信号が変わっても舁き縄一本での交通整理で大通りの車が山と流れの人達が全て通り過ぎるのをあたりまえのように待っている。そんな様子なんて絶対TVからは流れてこない。実はずっと不思議だった。廻り止めに着いた後も山は勢いよくその場を離れていくのまでは見ていたのだけどその後どうなるのか・・・・終ってしまえばなんとなくだらだらと「終ったなぁ」って感じで談笑しながらゆっくりと帰って行くようなイメージがあったのだけど・・・(わかります?描いているイメージ)実際は全然違った。もちろん"追い山"本番ほどの勢い、速さがあるわけじゃないけど山を壊すまで雰囲気は同じ。そんなことが驚きだったりもした。
上田さんがおられる西中の人達は山を壊し始めるとすぐに集合をかけて整然と自分達の詰所まで戻っていかれた。
そう言えば町のあちこちにあった飾り山も夜中のうちに取り壊し始めていた。
"追い山"が終った後の博多の町はそれはそれは見事なくらいも何事もなかったかのようにいつも通りに動き始める。ほんのさっきまでお祭りだったのに・・・・・その潔さもまた山の魅力なんだろう。
たった1回見ただけでわかったふうに語るつもりもないし、たくさん言葉を並べたわりには伝えたいこと、感じたことを完全に表現できない、どう言葉に表わしていいものかもわからないのだけどそこにはただ楽しいだけのお祭りじゃない何かがあるような気がした。
今回このような形で山笠を体験することで個人的にふつーに訪れていたらきっと感じられなかったこと、わからなかったことを上田さん、そしてそのお仲間の方達からたくさん教えてもらったと思っている。
上田さんは今回私たちファンのためにたくさん時間を費やしてくださったせいでご自分が十分に山を楽しむことができなかったようだったのがすごく申し訳ない気分だったけど、きっと上田さんはこうやって山笠のことを心からすごい!楽しいって私たちが思うことができたことを「よかった」って思っててくださるんだろうと・・・・
上田さん、西中のみなさん。ほんとに山笠は誇れるお祭りです!
私たちのために貴重な時間をわけてくださってどうもありがとうございました・・・・・
さいごに・・・
あれだけ憧れつづけていた博多へ行って来てしまった。今「もう1度行きたい」って思える自分がとても嬉しい。
自分が感じた博多を語るにもホントにうまく言葉を見つけられない。大博大通りなどの"都会化"したふうな風景から1っ歩横道に入るとそこにはしっかりと"生活"が根づいていた。観光などの大義名分で覗き込んではとても失礼なふうに感じてしまう風景がそこにはあった。自分達だけが"よそ者"そんなことがなんだかさみしく感じてしまうような・・・・
私には博多という街に自分の故郷富山と同じ懐かしさを感じていた。どこにでもある地方都市の顔。それぞれにその街の歴史があって人と人のつながりがあって・・・・"山笠"という特別な季節に訪れたおかげでそのいい部分が強調されて映ったのかもしれないけど、間違いなくそこには温かさがあり厳しさがあり・・・
きっと山笠の季節に"上田さんと一緒"に博多で過ごす時間があったからこそ感じるものも多かったような気がする。やっぱりそう言う意味で博多は私にとっては特別な街。その街にいる上田さんはなんだかすごく身近に感じられてしまった。博多がこんな街だから住んでいる人がああいう人達だから今の上田さんがあるんだって・・・・
まだまだ博多の全部の顔を見てきたつもりもないし、なんてったっておいしいものはほとんど食べられなかったので(舞い上がり過ぎてて・・・(^^;)今度はゆっくりと落ち着いて博多の街をぷらぷら歩いてみたいと思う。
これにてながーーーい"博多顛末記"完結とします。(笑)
おつきあいただけたのならばどうもありがとう・・・・・・
