1999.4.~1999.7.

'99.6.25 初恋

♪好きだよと言えずに初恋は 振り子細工のこころ・・・♪
今朝目を覚まして一番最初に聞こえてしまった村下孝蔵氏の訃報。ファンといえるほど入れ込んでいた方ではありませんがちょっと物悲しい曲調、あの透明感のある声が好きでアルバム"初恋"は何度も聴いていたものでした。どんな有名人の訃報を聞いても普段はあんまりピンとこないのですがこの訃報はさすがにショックだったのです。

「初恋」という曲を聴くと思い出す人がいます。まだ10代だったころずーっと片想いのままで思いを伝えられなかった人なのです。この曲の詞を聴いて好きな人に思いを伝えられずひたすら陰でその姿を目で追っているその刹那さというのが痛いほどわかって「こんな気持ちは男でも女でも同じものなのか」とちょっと安心したりもしたものです。

もう数年前のことになりますが街角でこの彼とすれ違ったことがあります。その彼にあえなくなってから10年以上の年月が流れていました。前から歩いてくる彼を見て「そうかもしれない」という思いが頭を過ぎりましたが過ぎ去った年月の長さを考えると今一つ確信できずにいたのです。すれ違う間もそっとその横顔を見ていましたが「多分そうだよなぁ」と思っいながらも確信が持てずにいました。それが間違いないと確信できたのがその後ろ姿でした。後ろ姿は紛れもなく憧れの彼なのです。昔いかに後ろ姿ばかりを追いかけていたのか今更ながら思い知らされた気がして苦笑いをしてしまった私です。

そんなことを思い出しながら追悼気分で朝から久しぶりに村下孝蔵氏のテープを聞いてしまいました。その歌声が一段と悲しく響きます。あーーやっぱりなんだか刹那いなぁ・・・・・・ちょっと感傷的な1日でした。

蛇足:実は動く東君を初めて見た時もこの彼を思い出した私だったりします。歌う時の姿がよく似ている気がして・・・・実際の彼の写真を東ファンにお見せしたら「どこが!!」といわれそーですが・・・(^^;

'99.6.22 かまぼこ その2

"その1"があったんだから当然、蒲鉾うんちくその2。(^^;

かまぼこというのは実はその70%以上が"水"であるのをご存知でしょうか?のこりがいわゆる蛋白質であり"生体高分子ゲル"といわれるものに分類できるものだったりします。
ちょっと難しいわけのわからない表現ですが「固液2相系複合材料」としての蒲鉾のお話です。

全然違った2種類の材料を物理的に混ぜ合わせ、材料としてのそれぞれの物質の弱点を補いあう新しい材料を「複合材料」というのですが、かまぼこを"固体"である蛋白質と、"液体"である水との複合材料として力学的に評価してみようというのが私の勤める研究室での研究テーマの中にあったりします。

などと書くととんでもなく難しい話のようですが、ぶっちゃけたはなし、かまぼこを引っ張ったり押し付けたりしてその弾力性を数値化して何かの材料として使えないかなぁみたいな話なのですけどね。
この研究テーマをもらった初代の学生はみずから鱈をさばいてすり身にし、"ゲル化"(座り時間というらしい)時間を変えたり加熱時間をかえたりと自分でいろんなかまぼこを作製しては実験しておりました。
お魚のすり身というのはねかしておくとドンドン目に見えない分子の「網目構造」が発達してより粘りのあるものになって行くようです。これはきっと小麦粉をこねてうどんを作る時にねかせるのと理屈は同じです。
で、その過程を電子顕微鏡などで実際目にすると結構「おお!!」という気分になります。(^^;

つくった"試料"は当然生物なので日持ちはしません。そんなわけで実験で使いきれなかった"試料"はどうしたかというと捨てるのももったいないしとおやつとしてみんなの口にはいるのです。ところがもともと食べることを目的としているわけでもなく味など2の次のしろもの。NaCl(早い話塩だけどね)以外の添加物は一切なしというきわめてシンプルなかまぼこで、実験結果が示したとおり"ほとんどゴム"のような食感だったものです。でも味は決して悪くもなかったけど・・・・それで「こっちの方がうまい」とかいいながら食べてたりするのです。で、結局みんなの一致した見解といえば「かまぼこはうまけりゃいいんじゃ!!」
"工学屋さん"の考えることは理解に苦しむよなぁ・・・・みたいな雰囲気だったりもするのです。

ちなみにかまぼこの電子顕微鏡の写真は結構気持ち悪いものがあります。(^^;;;;;

'99.6.21 かまぼこ その1

上田さんの御実家が蒲鉾屋さんだからってわけでもないんですが・・・・でもBBSなんかでもかまぼこが話題になったついでつーことで・・・

蒲鉾というのは仙台の笹かまやら小田原の蒲鉾やら全国各地に"名産"といわれるものがあるようですが、富山にも一つのかまぼこの文化があると思っています。
世間一般にいうと蒲鉾というのは板についているのがフツーらしいということを知ったのは実はずっと大人になってからです。富山の蒲鉾というのは"赤巻き"といわれるほぼ楕円系の渦巻き状のものが一般的です。 (こんな表現でソウゾウしていただけるものかはわかりませんが・・・)でもってそのバリエーションとでも申しましょうか"昆布巻き"というのもあります。そのほかにもいろいろ種類はありますがまず板にはついていません。

更に"細工蒲鉾"といわれるいわゆるお祝い用のかまぼこがあります。富山での結婚式というと30cm近い鯛の形ものやら鶴やら亀やら富士山やらを形どった大量の蒲鉾を引き出物としてつけるのが昔からの風習で御近所で結婚式があったり近所の方が親戚の結婚式に出席したりなんてことがあれば必ずやその蒲鉾を切り分けて隣近所に配り歩くのです。(とても1軒ですぐに食べきれるような蒲鉾の量じゃないこともあるんだけど・・・)というわけで小さい頃から蒲鉾というのはものすごく身近な食べ物でしたしこれは全国的な習わしなのだと思っていたものです。

それが全国的には珍しい風習であることを知ったのは何度かテレビで取り上げられているのを見てからだったりします。「ああ、あれって富山独特のものだったんだぁ・・・」と。
ところが上田さんちのパンフレットにもあったんですねぇ、鯛の形の蒲鉾などが・・・・博多にも富山と同じような風習があるのかしらとちょっと気になっているこの頃だったりするのです。皆さんの街のかまぼこの存在ってどんなものですか?

'99.6.19 富山弁

生まれも育ちも富山の人間ゆえ当然昔から"富山弁"使いなのですが・・・・以下富山弁

東京に住んどったときも富山へ帰りゃぁすっかり富山弁つことるわけで友人達に「あんた東京でもそうやってはなしとんがけぇ。なーんかわらんねぇ」いわれとったがだけど実は東京では「なまりがないね」ちゅうことになっとったがです。

故郷を離れてしまっと富山弁ちゃうちでつことっても富山の人と話さん限りぃ外でちゃあまり使わんがなあたりまえやけどぉ家の場合はちょっこちごとるがです。
富山に住んどんがになんでか我が家の場合はうちの中でちゃ標準語つことんがで、さ、暫らく東京に住んどったんとダンナが富山県人でちゃないからながだけど、そんなんでぇ子供たっちゃうちでちゃ標準語、友達とちゃ富山弁とすっかり使い分けとんがです。これちゃぁ子供にとってちゃ標準語(日野弁かもしれんけど(^^;)な方言みたいなもんでぇ・・・・

それが最近なんでか娘がうちでも富山弁を使うようなったんで、「なんで?」いうて聞いたら「別にぃ、いいねか」いうがんぜ。でぇ、ダンナが面白がって真似すっとやっぱし変ながです。富山弁のようだけどぜんぜんも富山弁になっとらんがです。何度言い直してもやっぱり変。「おとーさん、違うねかぁ!」と娘に怒られてばっかおるダンナながです。

んでもさぁ、お母さんに言わせっとあんたの富山弁もまだおっかしいちゃ。なーんまだ修行な足りんちゃ。もうちょっこう勉強せんにゃぁ。

と書いてみたところで方言と言うのは文にすると難しいものだと言うことに気がついた・・・・自分の富山弁も正しいのか自信がなくなってしまいます。(^^;;;;
この文を富山弁を知らない人が読むとどんなふうになるのかなぁ・・・・富山の人はばっちりだよね?たぶん・・・

てな分けでうちのなかでは今富山弁がブームです。変なの・・・・

'99.6.7 サンタルチアぁ~~

きっと誰でも聴いたことのあるこの曲。これってCDとかに入ってるお手本どおりに真似して歌おうすると結構ギャグになりませんでしたか???なんとなくこっけいで・・・・

先日の土曜日息子の授業参観なるものがありました。
今年の息子の担任は音楽の先生ということでか参観授業は音楽。内容は「ナポリ民謡を歌おう~サンタルチア~」ということでクレジット(?)されていたわけですが・・・・。

まずは今までのおさらいとかで「Tommorow」(岡本真夜のものではないです。念のため(^^;)の合唱をやるのですがいくらセンセイが感情を込めて大きな声でと言ってみたところでお年頃の彼ら彼女らが素直に言うことを聴くわけもなく合唱というには程遠い状況で・・・・後ろの方の生徒達は壁に寄りかかるやら「休め」状態やらでいかにもやる気がないご様子。でもって私には曲の善し悪しよりもセンセイのピアノまでがぎこちなく聞こえてきて「音楽の先生ならもうちょっとうまく弾いてよぉ~」みたいな気分になってきました。いえ、下手というじゃないんです。ミスタッチもないし・・・でもメリハリがないというんだか・・・マニュアルどおりというんだか・・・頭の中は伊豆田さんや小泉さんのピアノを思い浮かべ「彼らならこんなんじゃないよなぁ・・」と思ってしまうとんでもない母だったりしたのです。

で、「サンタルチア」はどうしたんだと思っていたらようやく「作曲者のない有名な曲の聞き比べ」ということで出てきたのがこの曲。
過去にセンセイが「この曲を歌うのが一番得意」とおっしゃっていたらしく突然、生徒達が「先生!歌ってよ!」とからかい気味にリクエストしました。最初は「今日はなし!」と先に進めようとしておられましたが静まらない生徒達に押され気味でしかたなく「じゃ、1題目だけね」と歌い始めました。
実はそれがすごかったのです。イタリア語で「朗々」と歌い上げる先生。ともすると先生を笑い者にしてしまえみたいにはやし立てていた生徒やそれまで授業に集中する気もなかったような子供たちもその歌声にひき込まれみんなの目はセンセイに釘付け。教室内は水を打ったように静まり歌声だけが響き渡りました。
歌い終わった後の一瞬の静寂、直後におこった拍手はまさに賞賛の拍手です。
いままで30人以上の生徒達の"合唱"の歌声よりもはるかに大きく明瞭でなんだか得をした気分になりました。
そっか、で私は「声楽の方の専門ね」とピアノのぎこちなさを納得。

「いい音楽だから聴きなさい」と声を大にしなくても「すごい」と思えばちゃんと自然に耳を傾けているはずなのです。ホントにいいと思うものには人をひきつけるそれなりの力があるのです。そんなことを感じた授業参観でした。

でもってオマケ聞き比べの曲はこのほかに「Oh!シャンゼリゼ」「ロシア民謡(題名を忘れた)」「ソーラン節」だったわけで最後にセンセイが「どの曲が一番好きだったか手を挙げて」と聴いたところ我が息子はしっかり迷わず「ソーラン節」に手を挙げておりました。あんたはこてこての日本人なのねぇ~(^^;;;;;;;;

'99.6.1 「未来(あした)へ」

これは今度CD化が決まった姫野さんとGAOHバンドが作った曲の題名です。(詳細はCHIZUKOさんのHPを見ていただければわかりますが・・・)

先日上田さんもイベントに参加されたということからこの曲ができるまでを取り上げたFBSの特番のビデオを見せていただける機会がありました。
きっかけはやっぱり上田さんでした。上田さんがドラムを叩いてるそりゃ見なきゃ!・・・・・でも、ビデオを見始めてすぐに「これはミーハー的な気持ち(?)でみてはイカン!!」という気持ちになってきました。

「筋ジストロフィー」という病気の詳細まではよく知りません。でもその病気がいまだ治療の術を持たないことそして人にとても短い命の期限を与えてしまう病気であることは知っていました。
その「筋ジストロフィー」という病気を患い「二十歳まで」と命の期限を宣告されたGAOHバンドのメンバー達が一生懸命に書き上げたのが「未来(あした)へ」という詞でした。

もしかしたら明日をもしれない彼ら達。その表情は至って穏やかで決して力むことなく淡々と今を語っていました。それが何よりも私の心に強く訴えてくるものを感じたのです。どんな熱い、力強い呼びかけよりもずっと心の奥底にしみてくる何かを感じるのです。こういうのが本当の強さなのかもしれないそう思わせてくれる彼ら達です。
今自分が命の期限を突付けられたら、決して彼らのようにはなれないだろうという自分の情けなさ、自分の半分しか人生を過ごしていない彼らから学ばなければならないことがある・・・そんな気持ちになってしまいました。

昔「未来」は永遠であると思っていました。こんな歳になったってまだまだ「未来」は信じていたいし、「未来」という言葉には明るい希望を連想させるようなワクワクした気持ちにさせる響きを感じていました。でもこんなに重く感じた「未来」は初めてです。
私には何もしてあげられないけれど彼ら達が「生まれてきて本当によかった」と心から言える人生を過ごせることを切に願ってしまいました。
極々平凡に五体満足で過ごしていられることがどんなに幸せなことなのか改めて実感です。

自分の思いを伝えたくて書いてみたけれどこれだけの言葉ではとても伝えきれない気がしてます。「この私の気持ち」わかるかなぁ・・・・・・・

'99.5.25 年齢詐称!?

先日の日曜日町内の運動会がありました。
日頃運動不足を自認しているので「こういう時くらい」とお願いされるがままにエントリーしてきたおかげ(!??)で毎年お声がけをいただくわけで・・・・

で、何が問題かって、その種目が「リレー」なんです。しかも40代でのエントリー・・・(^^;;;;;いくら「30代なんですけど・・・」とお断りしても「いいの、いいの他に走る人おられないしわかんないですよ」と押し切られてしまうことここ2年。でも御近所には同級生やら幼なじみやらがごろごろしてる関係上必ずや言われるのです。「おい!オマエいつのまに40になったんよ!オレといっしょだろ!」

数年前某ボランティア活動の名簿に載せるための最近の写真というのがなくて「大差ない」と10年前の写真を出して若い男の子から「え゛~~~!!オレこの写真の人ずっと探してたのに!あなただったの!!詐欺だぁ!」といわれたことを思い出し、歳を上乗せして文句言われるくらいならまだこっちの方がマシだったぞと思ってしまいました。(^^;;;;;;;;;;

大体が誰が好き好んで自分の歳を上乗せしたいもんですか!それなのに泣く泣く40代にされた上に文句まで言われてしまったのではホントに割が合いません。せめて「どう見てもまだ40代には見えない」といっていただけるのだったら救いもあるのに・・・・・複雑な女心わかってくれぇ~~~

でもって今ごろ体中が痛いぞ・・・・
あ、ちなみに私は決して足が速いわけではありません。(どっちかといわれれば確実に遅い方・・・)あくまでもお誘いを受けるわけは「走ってくれる人が他にいない」なのです。

'99.5.20 15周年

今からそう20年近くも前・・・・当時勤めていた会社のSKIツアーに参加した時のこと。
"SKI班"に所属していた私はその班の「ボス」から「おい!ちょっとこい」といわれてSKI班の仲間(なぜか野郎ばっかり・・・)がいる部屋へ誘われました。
なんでも日頃交流のあるスキー連盟からインストラクターが遊びに来ててそのうちのひとりが富山出身で「富山から来てる娘がいるぞ」というと顔がみたいという話になったらしいのです。(恰好の酒の肴状態・・・)

私は「インストラクター=若くて日焼け(SKI焼け)してて精悍なカッコイイ人」とちょっぴり素敵な出会いを期待していそいそと出かけていった訳です。ところが行ってみると期待とは裏腹にどう見ても30過ぎ(実際30をちょっと過ぎてたし・・・)のお世辞にもスタイルがいいとは言えない(いわゆるお腹の出た・・・)おじさんが2名。当てが外れてがっかりしましたが「期待して損した」とは思いつつもやっぱり同郷人というのはどっかで共通点があって富山出身という一人のおじさんと意気投合して盛り上がっておりました。で、もう一人のおじさんといえば一度も会話を交わさなかったし顔さえも覚えていない状態だったのですが・・・・・

で、実はその「いたかどうかも覚えてないおじさん」と今一緒に暮らしております。(^^;;;;;;;;;;;;;;;;世の中ほんとどうなるものやらわからないものなのです。「その時のもう一人」と知ったのはその時から2シーズンも過ぎ、ひょんな事から付き合い始めてからで「え゛!!もう一人いたとは思ったけどあんただったの???」だったわけで・・・・ちなみにダンナに言わせると私は「富山弁でしゃべりまくるうるさいやつ」だったそうです。私のこと覚えてはいたわけね。

結婚までも紆余曲折ありましたが今日が結婚記念日。あの日からちょうど15年がたちました。よくこれだけもったものだと我ながら感心しております。
そんなわけで今日はアイスクリームケーキを買ってきて息子の「結婚式みたいに二人でケーキ切って!」というリクエストに答えてまるできこりが鋸で木を切るようににギコギコやりながら"ケーキカット"をしました。(うまく表現できませんがムードも何もない結構笑える状態)結婚記念日をお祝いしたのは結婚1年目以来かもしれないなぁ・・・・

'99.5.18 2度あることは・・・

3度あって欲しくはないけれど・・・

昨日息子がやたらしょんぼりと学校から帰ってきました。バトミントンのラケットのフレームが練習中に割れてしまったのが相当ショックだったらしく、「口もききたくない」くらいの落ち込みようでした。ここのところガットが連続で切れてしまって張り替えを繰り返していた挙げ句3度目の災難がこれだったのでダメージが強かったようです。
で、ここまでは「他人事」(^^;;;(って親がいってていいのか?)

そして今朝のことです。毎度のように洗濯を始めたまではよかったのですが、なんと途中で脱水機が動かなくなってしまったのです。結婚以来ずっと使ってきた今時珍しい2槽式の代物で、今までも何度か壊れ掛けては直しながら今に至っていたわけで・・・
脱水機が壊れたからと言って始めてしまった洗濯を途中で止めてしまうわけにもいきません。何度か"手動"で軽く絞りながらもすすぎまで終えいざ干そうと本格的に手で絞り始めたのはいいのですが、これが想像以上の重労働。よりにもよって今日はGパンなどの"ごわごわもの"が多く、絞ってもとても絞り切れずしまいには手に力さえ入らなくなり、それでももういいだろうと干せばちょっとの間にぽたぽたと水が足れてきてしまう始末。
おかげで腕は筋肉痛。今でも両腕がだるくて大変です。いやぁ、昔の人って大変だったのねぇ・・・・とてもとてもやっていけないわぁ。

大体がものが壊れ始めると大概1つでは済まずやっぱり3つくらい立て続けに壊れることって多くありませんか??これで2つ壊れたわけだし「次は何だ???」といささかヒヤヒヤしているこの頃です。
あーーあ、6,7万の出費かぁ、でかいなぁ・・・・全自動の新しい洗濯機になるのは嬉しいけれど・・・・・
ちょっと最近我が家はスランプ!?状態になりつつあるのかもしれないなぁ。やばいぞ・・・

'99.5.5 カービングスキー

私が愛用しているSKI板は今はなきKAZAMAのジェネシス1.2カスタムというセミオーダーの名前入り板だったりします。10年以上も前「息子が1歳になったし、さ!またSKIに燃えるぞ」と思いつつ買った板です。ところが当時の息子は気管支が弱くSKIの季節は「ヒューヒュー、ゼイゼイ」の繰り返しでとてもSKIなどに連れて行けるような子ではなかったこともありほとんど宝の持ち腐れ状態になっていた板でもあります。
「最近板なんて安いもんなんだからいい加減に新しいの買ってこい!」と去年からダンナにずっと言われっぱなしで迷ってはいたものの「どーせ今更板を買えたところでうまくなるわけじゃなし・・・」と見送ってきてました。
SKI板と言うのは滑って確かめてみてから買うということができないものです。でもって安くなったとはいえ使い捨てのように買える値段でもなく、ここ最近SKIの板が多様化し何がいいのかさっぱりわからない浦島太郎状態で2,3年前から買おうとは思いつつも決断できないでいたのです。

GW中に我が家では恒例化している春スキーに出かけてきました。
その時に知人が最近スタンダードになってきた(?)カービングスキーというのを持ってきていたのです。私はこのカービングスキーと言うのはずんぐりむっくりとした"容姿"がなんとなく好きになれず、ダンナに薦められても「やだぁ・・」と言いつづけてきた代物でもありました。

ところがものは試しと借りて滑ったのが運のつき。とにかく軽いのです。今まではいていた板に比べるとほんのちょっとの加重で簡単にすっと曲がってくれちゃうのです。それが面白くて小回り気味に気持ち良く滑り降りて「すご~~い楽!!」と戻ったとたん「ちょこちょこ切り返すな!もっと楽に滑ってこい!やり直し!!」いきなりダンナから駄目だしを食らってしまった私です。駄目だし出されるまま再びゲレンデへ逆戻りして斜面いっぱい使ってのターン。いやぁ、実に気持ちがいいのです。その後に自分の板に履き替えた時の板の重いこと。
「食わず嫌い」と言うのはこのことかしらと思いつつすっかりカービングスキーにはまってしまって「来シーズンは絶対に新しい板買うぞ!」になってしまった単純なわたしでありました。

SKIをやらない人にとっては「???」の話ですね。(^^;
でも、SKIって楽しいですよん。

'99.5.1 奇遇

去年のちょうど今ごろ、十数年ぶりにバンド仲間が集まったくだりをここに書きましたが「今年もやろう!」と言うことで急遽飲み会を決定したのです。
でもって指定された居酒屋へ行って「あれ??ここ1度来たことあるぞ・・・」なんとなくそんな風に感じてはいたのです。1年ぶりに会った仲間達は相変わらずで「去年もその話したぁ!!」とかなんとか言いながら昔話に花を咲かせていたわけですがその話の中でふと思い出したのです。
「ねぇ、ここってもしかしたら昔ライブやったライブハウスの場所じゃない????」
みんなの手と口が一瞬止まります。「・・・・・・・」しばしの沈黙の後「あーーーーー!!!!そうだぁ!!」
20年以上も前のたった1度の話でもありすっかり雰囲気の違うお店になっていたこともあって気がつかずにいたのです。

「この場所は丸テーブルだったよなぁ」「そうそう!でレジのあたりにステージがあって」「向こうのカウンターはそのままカウンターだったよな」きっかけさえあればどんどん当時のことを思い出します。
「なんで今まで気がつかなかったんだぁ・・・」「こんなことってあるんだなぁ」
お店を出ても「この階段上ってドラムの搬入した覚えがある!」「あードラムのセットも持ち込んでたっけ?」「裏口から狭い場所通って楽器運んだよねぇ・・・」

なんとその居酒屋に予約を入れた当人は全くそのことに気がつかずこのお店を決めたとのこと。昔一緒にライブをやっていたバンドメンバーが何も知らずにそのライブの場所に20数年後に集まっていたなんてすごい巡り合わせのような気がしてみんないっきにタイムスリップしてしまいました。
なんだか神様にちょっと粋なプレゼントをもらったようなそんなかんじで嬉しくなってしまった「同窓会」だったのです。
ここまできたら来年はやっぱリセッションかぁ???なんて・・・カラオケが無難なところかなぁ・・・・

'99.4.27 登園拒否

昨日の朝なんだか家の前で声がしました。耳を凝らすと子供の声で「ただいまぁ!」「おはよう!」「おばちゃん!!」!!??え?家のお客さん??と慌てて玄関を出てみると、母と共に甥っ子が立っておりました。何で朝から「ただいまぁ!」なのよと思っていたら・・・

3歳になり4月から保育所がよいを始めた甥っ子ですが、登園2日目にして「保育所やーの!」(行きたくないということです)となったらしいのです。3日目からは本当に熱まで出してねごとでまで「いかないの!」と叫んでいるという始末。かといってそのまま通わせないわけにもいかないと毎日あれこれごまかしながら連れて行く日々なんだそうです。でもってこの日は通園途中にある我が家が「無駄な抵抗」のターゲットとなったというわけです。

今まで家でオトナばかりの中いつも自分だけを見ていてもらい自分の望みどおりになんでもしてもらえたのが保育所ではそうはいきません。それが彼にとっては思いのほか苦痛になっているようです。

あわよくば我が家の子供たちが遊んでくれると思ったのか「おにいちゃんは?」と聞きます。「学校!」「おねえちゃんは?」「学校!」つれなく答えるといかにも困ったような表情を見せるのです。更に「みんな学校行かなきゃいけないの!まさひろは保育所いくんでしょ?お友達待ってるよ」と続けるとちょっと考えて「しょーごにいちゃんいるの」という。どうやらそのお兄ちゃんがいつも遊んでくれているらしい。「じゃぁしょーごお兄ちゃん待ってるよ」というとようやく粘っても無駄と察したのかその気になってくれたらしく「じゃ、行くか」重い腰を上げ意外とすんなり「いってきまーす」と去っていきました。

実は家の娘も登園拒否をした口で朝、園服にさえ袖をとおすのを嫌がって泣きっぱなしだったことをふと思い出してしまいました。「ジャングルジムでちょっと遊んでこよう」とごまかしながらなんとか幼稚園まで連れていったことが懐かしいです。
「おまえも幼稚園行くのいやだってないたよな」というと「え~お兄ちゃん??」とのこと「あんただよ!あんた!」というと「そうだっけぇ??」本人はちっとも覚えていないのです。

'99.4.18 コーラスダンスクラブ

・・・ってなんだと思います???
実はこれ娘が4月から入った小学校の必修クラブの名前です。
「コーラスにダンス???何やるのよ」イメージ的に合唱にバレエのような創作ダンスでもつけるのかと思って聞けばなんと「SpeedとかねMaxとかV6みたいに歌って踊るんだよ」というお応え。
自分達で真似したいグループとか決めてビデオとか見て振り真似をしようというクラブらしいのです。

ひぇ~~世の中変わりましたねぇ。私たちの頃はそんな真似なぞやろうものなら友達の間ではヒーローになれてもセンセイからは睨まれるだけだったんだけどなぁ・・・・学校の授業の1部としてそういうのやるようになったんだと驚いてしまいました。

ま、普段から「教室の黒板の前で友人数名と休み時間に歌って踊っておられます。」(:4年担任談(^^;)ということなのでらしいといえばらしい選択なのですが・・・・娘曰く「友達とクラブを一緒にしようって決めてたの」ということで5年のクラス替えでバラバラになってしまった"元4年2組のSpeed"がクラブで再結成ということらしいのです。
その昔体育の授業中に体育館の片隅でこっそりと友人達と当時のはやりのアグネス・チャンとかの振り真似して遊んでいてだんだん夢中になって気がついたらクラス中の注目を浴びていて「こら!そこ何ふざけてる!」という先生のカミナリが落ちてきたなんて経験もある私。ミーハーの子はやっぱりミーハーなのねぇと妙に納得してしまった次第です。遺伝とはおそろしやです。ちなみにうちの娘は「絵理子役」なんだそーで・・・

「男の子いるの?」と聞けばたった一人だけいるんだそうで「その子はDA PUMPでもやるの?」といったら「そのこもSpeedやりたいって言ってたけど・・・」はぁ~~~(^^;;;;;;

新学期ついでに息子のクラブはといえば第1希望は昨年に引き続き「鉄道研究会」で、更に第2,3希望で「囲碁・将棋」「百人一首」と続くんだそうで・・・・まぁなんとジジクサイと申しましょうか地味と申しましょうか・・・相変わらず対照的な我が子たちの春です。

'99.4.9半世紀かぁ・・・

子供たちや自分のBirthdayをここでお祝いしたからにはやっぱりな・・・つーことで今日はだんなのBirthday。
1日3箱の煙草、毎晩切らすことのないアルコールにもめげずよくもまぁ半世紀生き延びてこられました。

「やーい50だ!50だ!おじいさんだぁ!」とダンナをちゃかす母を前に息子が一言「そーいうおかあさんだってすぐでしょ!自分が言われていやなことは言わないの!」ちょっとまて!お母さんはまだ30代だぞ!「30代と50代と一緒にするなよな!すごい差だぞ」と反論すれば「30代ったってお母さんは十分後半なんだからね!すぐ40なの」と生意気な口を利く息子。当のダンナは「0は数えないんだから5歳でいいんだよ!」ってあんたねぇ・・・・

う~ん、年齢なんて現実過ぎて考えたくはないんだけどやっぱり50年ってすごいよなぁ・・・半世紀だもんなぁ・・・・でもって私は20代のダンナと言うのを全然知らないわけでさ。普段年の差を気にしたことはないけどやっぱり自分のダンナが50なんていうと自分まですごく年寄りになった気分だわ。

ま、なにはともあれおめでとう!とりあえず子供がひとりで食っていけるようになるまではがんばってね、おとーさん!
・・・こんなBirthday メッセージでいいのでしょうか???(^^;;;;;;;;;

'99. 4.3 ♪Hey!Hey! Hey!あこがれの東京♪

3/21お母さんの"上田さんに会うため"の上京に続き3/29~4/2まで今度は子供たちの保護者として東京を満喫してきました。いや、してくる予定だったんだけど・・・全然しなかったわけでもないけど・・・ぢつは兄・妹で見事に明暗を分けてしまいました。ということでそれぞれの春休み東京日記です。

★"明"の兄
息子の鉄道マニアぶりはここの所加速気味で彼の今回の最大の目的は1日中JR線を乗り回してできる限りの電車の写真を撮ってくることにありました。
まず初日。友人と話し込む母親に愛想を尽かし「1時間くらいホームをふらついてくる」と言い残し一人東京駅の構内を探検に出かけた息子。広い東京駅でも迷子にならず「たくさん電車の写真がうつせた」と満足げに待ち合わせ場所まで戻ってきました。更に宿泊先の知人宅の都合もあってまだ若干時間があったことから神田の「交通博物館」へ行くことに。彼にとっては3度目の「交通博物館」だったのですが最近増えたシュミレーションの体験がしたかったらしく2時間ほどしかなかった時間を館内を思う存分走り回ってこれまた満足げ。
2日目は予定通りのディズニーランド。妹のアクシデントにもめげずとりあえずそこそこ楽しんできた様子。

3日目。いよいよ最大の目的"JRの乗り回し"東京住まいでもない中学1年生を一人で野放しにするのには多少勇気が要りましたが、駅からは出ない、迷ったら宿泊先の家に必ず連絡を入れる、人に声をかけられても無視するなどを言い聞かせて朝10:00前に知人宅を出発。彼の予定では17:00には出発駅に戻ることになっていました。途中無事の確認のために1回はTelしなさいと言ったにも関わらずかかってきたのは16:00頃。しかも出発駅のとなりの駅から・・・「今、八王子駅だけど後"あずさ"の写真とったら帰るから・・・」ってオイオイ!ま、それでも予定通り無事帰還。千葉方面まではさすがに足を伸ばせはしなかったものの川崎、横浜、上野、東京と結構あちこち電車を乗り継いできたようで一気にその日の報告を始める息子。

「感想は?」と問えば「電車の中でお化粧してる人とかたくさんいた。あと携帯電話がしょっちゅうなってて平気で話ししてる人がたくさんいたのが迷惑だった」(^^;;;;なんちゅうジジクサイ感想じゃい。でも、そういうふうに感じるというのはいささか安心もしたけどね。
一人で"偉業"を成し遂げた満足感でいっぱいの嬉しそうな顔を見ながらなんでもやらせてみるものだと一歩オトナに近づいた息子をしげしげと見入ってしまいました。
この一人旅彼にとっても忘れられない思い出になったと思っています。そんなわけで彼の東京は2重丸で終ったのでした。

★"暗"の娘
そもそものこの東京行きの目的は梓の「またディズニーランドへ行きたい!」が発端でした。
28日には新体操の発表会があってそれまでは練習などで予定がいっぱいで当初は1日ゆっくり休養して30日に上京して31日にディズニーランドへ行こうということになっていたのです。ところが期日指定のチケットをお願いしていた知人の思い違いで1日早い30日のチケットになってしまったあたりから歯車がかみ合わなくなってしまったようで・・・

初日、行きの電車でまず乗り物酔いに見舞われ普段の元気娘の姿はどこへやら一人東京につくまでぐったりしてはいたのです。東京駅では友人にあうお母さんに付き合わされ、更にはお兄ちゃんの付き合いで彼女にとっては興味のない場所に連れて行かれそれでも「明日はディズニーランド」の言葉にいやいやお付き合いしてはいたのです。
そして30日。彼女の最大の楽しみディズニーランド。昨日のぐったりはどこへやら「元気だよ!」の言葉と共に4:30起きにも文句も言わず喜び勇んで電車に乗ったまではよかったのです。東京駅でトイレへ行ったあたりから「お腹が痛い」と様子が変になり、ディズニーランドへついてからも開園までの待ち時間の間朝ご飯代わりのお弁当も口にできずトイレばかり。ディズニーランドに入園してからも更にトイレ通いが続きとてもアトラクションをまわれるような様子もなく「歩くのもいやだ。横になりたい」とベンチに座り込んでしまいました。確かに朝も早かったし外は寒いし疲れもあるだろうしなぁとは思っていたんですが・・・それでも少し暖まって休んでいればよくなるかなと救護室のお世話になることにし、清掃のお兄さんに場所を尋ね、案内していただいて救護室へ。1時間ばかり熟睡したのですがとにかく辛そうです。自分でもせっかくのディズニーランドなのに体が思うようにならない悔しさとお腹の痛みでぼろぼろ泣き出す娘をどうしてやることもできずに結局は病院を紹介してもらいお兄ちゃんと知人のおばさんを残し娘と私はディズニーランドは諦めて知人宅へ帰ることに・・・
ということでディズニーランド滞在時間3時間(内、救護室で過ごしたのが1時間半)たった1枚のキャラクターとの写真を撮っただけで彼女の楽しみは泡と消えてしまったのでした。

更には医者からの薬のおかげか痛みだけは治まったもののトイレの回数はなかなか減らず食欲も戻らずでこの後の予定もすべて没。お台場に原宿と彼女の行きたかった場所は楽しむことができませんでした。(原宿は通るには通ったんだけどね、最終日の宿泊先になる叔母の家が原宿の近くにある都合上。)元気になってきたとはいえとてもいろいろ歩いて楽しむ余裕はなかったようで・・・・そんなわけで彼女の東京行きは散々なものになってしまいました。
ただ、ディズニーランドの救護室の対応がすごく丁寧で紹介された病院までディズニーランドの車で送っていただき更には受付まで係りの人がついてきてくださって、これにはさすがと感心しきり。彼女にとっては決して楽しい思い出ではなかったけれど他の人がめったにできない経験をすることができたのだから別の意味で貴重な"いい思い出"だったんだと思います。ディズニーランドもお台場も逃げないから夏にでもまた行こうね、梓。

ちょいとオマケ
★明暗体験お母さん(^^;
まず暗・・・
そりゃもう梓に限らずお母さんだってディズニーランドを楽しみにしていたんで何にも見れずに帰ってしまったのがひたすら残念。あとは体調のよくない梓の心配で気疲れ気味だった3日間です。
そして明・・・
「絶対、お母さんに専念」・・・のはずだったんだけど・・・・
4/1、唯一娘のためにとフジテレビを叔母のうちから近いNHKに路線転換して(??)見学に行って疲れたのか夕方眠り込んでしまった娘。おばさんの「せっかく来たんだし子供は見ててあげるからひとりで2,3時間行きたいところへ行ってきたら」との甘いオススメに気持ちが揺れて息子の許可をもらって9:00までには戻る約束で足は六本木へ・・・・4/1そう、懸命なこのHPの読者の方でしたらピンと来ますよねぇ・・・・たとえ1Stageでもと行ってしまいました。あれほど「行かない!」って決めてたのになぁ・・・・私の決心ってもろいのねぇ・・・(^^;;;;;;;ということで何もかも帳消しになってしまう上田さんのステージ。お母さん一人幸せ気分に戻っちゃってていいのかなぁと思いつつ楽しんできちゃいました。こんな素敵な「明」はない!

そんなこんなでの3人3様の東京滞在。世の中何が起こるかわかんないものなのです。ハイ。皆さんの春休みいかがでしたか???