1998.3.~1998.6.

'98.6.26 事後承諾

さて待望の「吉祥寺、GAR-YIZライブ」まであと2週間となりました。あんまり早くにチケットだのホテルだの手配をしてしまったせいなのか「行ける」というだけであまりにも早く浮かれ過ぎたせいなのかここ最近まるで全て終わった祭りの後のような気分になっている私です。(^^;;;;;

で、その「行ける」と言うのも自分でかってに「行く気になって」全部段取りを済ませていたというだけで実際のところダンナには一言の相談もしていなかった訳で(毎度毎度の事ながら)・・・・ライブの1ヶ月前になってようやく(しかたなく??)唐突に「7/11の土曜日東京までライブに行きたいからよろしくね」と宣言した私。ダンナよりもずっと前に「また東京までライブへ行ってきていい?」とお伺いを立て許可を得ているはずの我が息子、ダンナが「行くな」とは言わないけど感情的にはあんまり「よし」と思っていないはずなのを察知してか、ダンナが口を開くより先に「いいよ!!!」と援護してくれたのです。う~ん、我が子ながらよくできた(自分に都合よく)息子だよなぁ。(^_-)当のダンナは「その頃仕事忙しいから俺は知らねぇよ!」これまたいつもどおりの御回答。でも、これでちゃんとOKなんですよね。私はちゃんと「いく!」って意思表示はしたんだからね、後で聞いてないって言わせないぞ。・・・やっぱりこれって「強行突破」っていうのかなぁ。

いっしょに行く友人に「で、ちゃんとダンナに行くっていったの?ホントに行って大丈夫?」なんて心配までされてしまう私なのでした。ご心配かけてスミマセンねぇ・・・・・
わたしも「子供の行事」とか入らないか心配してたけどここまでくればもう安心。あとはもう「わくわく、どきどき」でその日を待つばかりなのです。(^^)v

'98.6.20 「音のある世界」の幸せ

今日、小学校のPTA主催の講演会と言うのを聞いてきました。講演された方は手話通訳として活動されている方でいわゆる「聴覚障害」を持っている方との交友を通じてのエピソードなど手話を交えてお話されました。

手話と言うのは目で見える動作だけでは決して正確に物事を伝えられると言うものではないと言う事を初めて知りました。その時の表情や唇の動きなどもあわせて始めて相手に伝えられるものなんだそうです。(これって常識???)そのかたは実に表情豊かに「音が聞えない事の不安の大きさ」「人とコミニュケーションを取れると言う事の大切さ」などの話をしてくださいました。
なんだか自分は「音が聞える」ということに甘えて人に物事を「伝える」と言う事に鈍感に過ごしていた気がします。

インターネットの世界は文字での情報が主流です。もちろん動画、音なども情報として流せる世界ではありますが、少なくとも私が開いているこのHPは「文字」だけの情報でしかありません。
文字だけで自分の感情や伝えたい事を正確に伝えるためにはかなり膨大な「文字数」を必要とします。「こんな風に書いたら違ったように解釈されるかな?じゃ、こう書いて見たら・・・」などなどちゃんと伝えるために少ない語彙の中から精一杯適切な言葉を選ぶ努力と時間を要する訳です。実は私はこれが苦手です。うまく伝える事を面倒がってすぐに「や~めた!」となってしまう私がいます。ちゃんと伝えられる術を持っているのにこれを放棄して生きてきた気がします。実際今こうやって自分が感じた事を伝えたいと思いながら文字をつづっていますがなかなか思うような表現が見つからずに「こんな話題を振るの辞めようか」なんて思っていたりする訳です。

私にとっては「音が聞える」というのは当たり前の世界です。だからこそこうやって大好きなミュージシャンがいて彼の演奏を「聴く」事によって最高に幸せな気持ちになれます。こう言う事があたりまえじゃなくてものすごく幸せな事なんだと今日実感しました。「普通」に過ごせる事に感謝する事忘れてはいけないですよね。日ごろ「グチ」の多い私としては反省しきりの日でした。

う~ん、これで私が伝えたかったこと伝えられてるのかしら????自信ないなぁ・・・・・(^^ゞ

'98.6.16 財津本

6/7財津さんの本が発売されました。財津さんのファンの友人に「あなたが買うような本じゃないわよ」なんていわれもしたし、さして期待していたわけでもなく待ち望んでいたわけでもないのだけれどどうも「昔の習性」よろしく手に入れておかないと後になって後悔しそうで買ってしまいました。

いつの頃からか財津さんの音楽を聴いても何も感じなくなってしまったわけがこの本に詰まっている気がします。財津さんの曲は財津さんの曲。初めて聞く曲だって誰が歌ってるのか知らずに聴いたってすぐに「あ!財津さんの曲だ!」って分かってしまうくらい曲調も声も身にしみついているのだけれどただそれだけで「新しい曲」でも「思い出の曲」のように聴いてしまってる自分がいるのです。しかももっと悪い事に「昔のTULIPの曲」のようには聞えてこないのです。ギターの旋律もベースの音もドラムのリズムもなんにも残らないのです。コーラスでさえ耳にのこらない。TULIPの曲にはメロディーラインではない"自分が行きたいパート"があったのになんにもない。これって何ででしょう??
実は昨年までこの原因は「年のせい」だと思っていました。世の中をしっかり見てきて現実を知り過ぎて物事に感動する事が少なくなってしまったせいなんだと、これが「大人になるということ」なんだと・・・・音楽のような「夢」の世界で再び夢中になれるなんてことはもうないんだと思っていたのです。

大人になってしまったのは彼らだけじゃないのです。ファンだってじゅうぶん大人なのです。でもね、40過ぎたって50になったって平均寿命80歳の近年まだまだ思い出だけに浸ってすごそうなんて早すぎませんか?たとえ短くても生きてる限り未来はあるのです。今できなくても明日できるかもしれない事だってあるはずです。"大人"になったからって「まるく」なる必要はないのです。突っ張ってやりたい事やったっていいはずなんです。とってつけたようなメッセージなんて要らないただ「前向き」な姿があれば絶対伝わるものがあると思うのです。
私はTULIPの再結成がきっかけでこう思うようになったのです。なのに財津さんはなんか違ってる。そう思えてがっかりを通り越して「怒り」に近いもの感じてしまいました。
私のとらえ方が間違ってるのでしょうか?財津さんが伝えたかった事取り違えてるんでしょうか?

Piccadilly Circusのライブを見て「何か」を感じられなくなったのは決して「年のせい」ではないって事実感しました。ちゃんと以前のように感じられる曲はあるのです。現実に追われてそういう曲に出会うきっかけを失っていたのと自分の気持ちに余裕がなかっただけの事だったのだと思ったのです。
財津さんとPiccadilly Circus。比べてどうのこうのというつもりもないし比べられるというものでもないのだけれど私の中ではすごく対照的に見えて仕方がないです。「音楽的」なうら付けとかそんな難しい事じゃない。ただ自分の感性が全然違うと叫んでます。これってやっぱり単純に「好みの差」なのでしょうか?
もう一度財津さんの曲に昔のように「何か」を感じたいのです。胸を張って「ファンです」って言いたいんです。でも、今は言えない。財津さんファンの方ごめんね。(ってこれ読んでくれてる財津ファンの方っているのだろうか?)

なんかシリアス・・・・・・・たまにはいいよね?キャラにない事書いてみても。

'98.6.13 ある休日

日ごろ主婦などやってるとどうしても家中で一番早起きして弁当だの朝食だの作んなきゃいけないわけで昔っから「宵っ張りの朝寝坊」の私としましては何の予定もない休日の朝だけが唯一「朝寝坊」を決め込んで文句を言われない朝だったりするのです。

で、とある休日。毎度のように子供たちの朝食もダンナに任せて朝寝坊を決め込んでると階下からテーブルだか床だかを叩いて「タタタ、タタタ」とリズムを刻む音が・・・(安普請の家なものでなんでもうるさいくらいに聞こえてしまうという)どうも娘の仕業らしいが「朝っぱらから何やってるんだぁ??いい加減で辞めとかないとお父さんにうるさいって怒られるぞぉ」などと思いながら様子を見に行くと案の定娘がひたすらテーブルを叩いておりました。起きてきた私の顔をちらっと見て「ニッ!」と笑ったかと思うとますます絶好調にリズムを刻み始めそのうち「ツツタタツツタタドンドンパァ~ン!」と"口ドラム"(???)まで加わりひとしきりやり終えて最後に一言。「ハイ!お母さんの真似」・・・・・・・・・・(@_@) (・。・)(^^;;;;;;;;;;;; 「・・・・・・・・・・・・・・・・」(-_-;)
こいつの前で音楽聞くの絶対辞めよう・・・・・・・・・・・・・・・と堅く心に誓った母です。
「子は親の鏡」「カエルの子はカエル」

娘に「お母さん、そんなにドラム好きなら習いにいけばぁ??音楽教室(娘が通ってる)でやってるんでしょ?」とまで言われている私って・・・・(^^ゞ「そりゃさ、行けるもんなら行きたいけど家事(ほとんど手抜きだが)仕事(アルバイトだけど)に加えてあんたの習い事の「専属運転手」までやってどこにそんな時間があるんだぁ~~」と答えた私の台詞を聞いていたダンナの一言。「あのなぁ、お母さんはおまえと違って上達の見込みがないんだから時間と金の無駄なんだよ」そんな台詞私より"年寄り"のあんたに言われたくないぞ!!今に見てろぉと密かに「闘志を燃やす」私。でも、やっぱり「無理」なんだろうなぁ・・・・悔しいけど。

う~ん、親としての私の「威厳」は今いずこ?????

'98.6.6 たまにはお母さん

たまには「世を忍ぶ仮の姿」のお母さんをやっているお話。なんちゃって・・・
今日、中学校の参観日&学級懇談会なんてのがありました。
とはいっても、行き先が母校という事もあってどうもPTAというよりはまだ生徒気分になってしまう私なのです。
中学の授業なんて面白くも何ともない。ましてや決まりきった「道徳」など・・・子供たちも「借りてきたネコ」以上におとなしい事。ついついあくびなどしてみてしまったのでした。<とんでもない親かぁ??(^^ゞ

そして懇談会。女の子のお母さんから「夜遅くまで起きてて勉強してるのかと思えば、ラジオや音楽ばっかり聴いてて、ちょっと机に向かってると思えば友達への手紙を書いてでちっとも勉強している様子がない。」とのご発言。そうだよなぁ、中学1年ってちょうどこういうこと始める時期だよなぁ・・・わたしも小6の後半あたりからやってたもんなぁなんて微笑ましく聞いてたのですが、みなさんどうも「これから向かう受験」と言うのが気がかりらしくやたら前回の成績結果の分析をして「この間のテストの結果では部活動もやめさせて勉強させなきゃいけない」とのこと。挙げ句に「平均点を見ると女子のほうが成績がいい」「クラスによって成績にばらつきがあるのか」etc・・・・「5点違えば何十番も番数が下がるのにちっとも気にしてない」ひぇ~~~~ノー天気な私にはついていけな~~~い!たかがテストの5点だよぉ~まるでその5点がその子の人生を狂わせてしまうかのいいよう。
なんで皆さんこうテスト結果ばかり気にするのかなぁ。なんか違うと思うんだけど・・・・よそ様では皆さんこの調子で子供たちにはっぱをかけておられるのでしょうか?これが当たり前なんでしょうか?私には理解できない。

我が息子と言えば、中間テスト前の「部活動停止」期間中、日ごろ部活に取られて時間がなくてできなかったファミコンの「攻略強化週間」とばかりにゲームにのめり込んでおりました。で、親子の会話。
母:「あんたねぇ、なんで早く学校から帰れっていわれるのかわかってる?」
息子:「テストが近いから」
母:「テスト近いとなんで早く帰れっていわれるの?」
息子:「テスト勉強しなきゃいけないから」
母:「で、あんた勉強は?」
息子:「学校でやってるよぉ」・・・・・・って、おいおい!
で更に続いたせりふ「大丈夫、200番くらいにはなれると思うから・・・・・クラスの○○君は30番以内目指すって言ってたけどね」って、あんた・・・・・それって大丈夫なの???
それでも成績が「番数」で反映されるという洗脳だけはされてるわけね。

でもね、忘れないで欲しいなぁ。大切なのは「番数」でも「点数」でもなくて習った事がどれだけ自分の頭に残っているかって事なんだからね。なんて言ってもこんなことをやってる親の台詞など説得力ないかなぁ・・・

'98.6.2 いいことみつけ!

ここ2週間のうち数ある上田さんのステージをどれ一つ見れず少々ふてくされ気味で何にも書く気になれずにおりました。世の中そんなにいい事ばかりは続かないとは思いつつも5/22以降なんとなくついてないと言うかいろんな予定がちぐはぐしていたというかちーとばかりブルーな気分になっていたのです。(あ、これはライブに行けないせいではないです。)
で、いいことその1.某HPでの「カキコ」にて「CAVERNでのお客さんが増えたのはインターネットの影響だろうなぁ」と上田さんがおっしゃっていたらしいということ。私のHPが貢献しているかどうかわかりませんがこういう世界を認識していただいてるのがやたらうれしかった。\(^o^)/なのです。
いいことその2.CAVERN CLUBのHPが正式アップになって上田さんへもメッセージが送れるって分かった事。ただねぇ、そこの上田さんのファンへ一言のコメント「そんな人たちいたっけ??」ってあんまりだぁ~~~~!!ここにちゃんと生息してるよぉ~~!これをお読みの皆さん!そんなおとぼけ言ってる場合じゃないくらいたくさん上田さんに応援メッセージ送ってあげてぇ!!LINKのページからCAVERN CLUBのHPへ行けますから。よろしくね!

'98.5.22 うさばらし

なんて妙な見出しをつけてしまいましたが、これを書いている今日川崎での「THE BEATLE PEOPLE」をやっている日です。5時ごろから「今ごろはリハかな」とか「もう始まったかな」とかやたら東の方向を眺めて(見えるわけでもないのに)一生懸命ライブの様子を想像していたりするのです。やっぱり行けないのは悲しいよぉ・・・・
で、なんとなく気分が落ち着かないのでHPの更新に没頭してしまいました。今回アップ分がそうです。「悔しい悔しい」なんて思いながら書いてるからもしかしたらどっか変かも??あ、このHPの存在自体が変なのか(^^ゞ

ついてない日と言うのはあるものでまさかライブへ行けないのが運の尽きと言うわけでもないのでしょうが今日はほんと散々な日でした。なんだかいつもの倍も疲れた気分なのです。でも、最近「ついてない日の後には必ずすごくいい事がある」そう思えるようになりました。実際、ここ1年確実にそう言う事が続いてきてるのです。さて、今日の散々なめはどんないい事で還元されるのだろう??期待しちゃおうっと!

'98.5.18 記念日?????

Topページに書いちゃったように本日めでたく!?アクセス1000人を超えました。開設してまだ2ヶ月足らず。よもやこんなに早く超えてしまうなど思ってもみなかったのです。いったいどんな人たちが私のHPを楽しんでいてくださるのかなぁ。なんども覗いてみてくださってる方、1度っきりのかたいろいろおられるのだろうなぁ。見てくださっている方全部にお会いしてみたいと思うこのごろ。「見たよ」と言うメールをいただくのがとにかくうれしいのです。ちなみに昨日気になって自分で覗きに行ったら999番目だったのですよ。よかった自分でゲットしなくって。記念すべき1000番目をゲットされた方、きっと、きっといい事がありますよぉ~~・・・・・保証はしないけど^_^;

さてこの記念すべき今日はGAR-YIZのライブのチケット発売日でした。勝手に「なんだか運命を感じる」などと思い込んでいるお調子者の私です。チケット、ホテル、飛行機全ての手配を完了して既に心は7/11!早く上田さんのタイコを叩いてる姿にお目にかかりたいなぁ・・・・・・(*^^*)

「少しでもたくさんの人がライブに来てくれるとうれしいなぁ」などとほとんど「チケットセールスマン」の心境です。
ね!あなたも見に行きません?????

'98.5.15 私の実家

インターネットを通じて知り合ったメール仲間との間でTULIPがまだ"アイドル"だった頃に出演したテレビ番組の事が話題になりました。この世界なぜだか少なくとも私よりも若い世代の人が多いようでTULIPが頻繁にテレビに出ていたと言う事を知らない方のほうが多いんですよねぇ。

で、実家の私の部屋。実はその部屋の主が家を出て20年近くたつと言うのに中高生時代に過ごした部屋がまるでタイムスリップしたかのようにそのままの状態で物置と化しているのです。壁といい襖、ドアといい挙げ句は天井までTULIPのポスターが張り巡らされ、その数、十数枚。更に当時の日記やら雑誌やらテープやらがごろごろしているわけで...親には以前から「いい加減にあの"ゴミ"を何とかしろ、捨てるぞ」とはいわれていて昨年の再結成騒動が始まった頃から少しづつ我が家に運び出してはいたのですが何しろ狭い我が家なものでとても全部は持ち出しきれないでいました。
ところが雑誌とかその切り抜きあたりは「オフ会」などで日の目を見てものめずらしがられていたのですが、ここへ来てなんと日記までが日の目を見る事に・・・・・
当時の私、よっぽどかく事がなかったのかやっぱり上田さんにしか興味がいってなかったのかTULIPがテレビやラジオに出ていたのを見た日は服装とかメンバーの様子をごちゃごちゃと書き並べていたのです。その内容が今や"貴重な資料"とまで言われるなんて・・・・(もちろんTULIPに興味のない人にとっては我が親の言うとおり「単なるゴミ」でしかないわけで)「これだけあるんだから「お宝鑑定団」で鑑定してもらえば?」などと親にいやみを言われていたりしますけれど、ま、TULIPごときじゃたかがしれてるさね。
で、比較的近い過去のTULIPはほとんど知らないのにやったら古い話を妙に詳しく知っている「特異なファン」になっている気がしてきたんだけど・・・・・・・これってやっぱり「年寄り」ってことかなぁ。でもねぇ、あの当時のファンにとっては私が知ってる事は「ファンの常識」だったはずで私など「よく知らない」ファンだったんだけど・・・

探せば絶対おられるはずだ!私などよりもっともっと詳しく覚えてる人が・・・

'98.5.8 ファンレター

2回ほど登場させてしまった息子ではなく今度は妹の娘(小4)の話。この娘、恐ろしいほど「親の背中」を見て育ってる娘で鼻歌でTULIPからALWAYS挙げ句TONYの曲まで口ずさんでしまうやつなんですが・・・・・・

先日、漫画の付録についていた小さな雑誌を見つめていた娘が突然「ねぇ、ここにお手紙出したら届くんだよね」と聞いてきました。「え?」と思って差し出された雑誌を見るとアイドル系のタレントのファンレターの宛先の一覧が・・・・「届く事は届くとは思うけど・・・・・」とこたえたとたんに「お手紙書く!」と言い出しました。(^^ゞ(^^ゞ
げ!カエルの子はカエルと言うけれど・・・・昔、上田さんに手紙を書いた事があるなんて話しはこいつにはしてないよな。しかし、誰にも教わらずにこういうこと言い始めるとは・・・・・ミーハーの親を持つ子供はやっぱりミーハーなのね。「お父さんには内緒にしてね」と言う娘に「何で?」と聞くと「恥ずかしいから」とのこと。「お母さんは平気なの?」「だって、ここにいるんだもん」・・・・・・娘はこの親は自分と同類だと言う事をちゃんとわかってるのかもしれない。
せっせと手紙を書き始めた娘に「お仕事が忙しいからお返事はこないんだよ」と水を差すような事をいってしまったんだけどわかってるのかなぁ。気持ちが分かるだけになんだか複雑。

まったく、しょうもない親子です。

'98.5.1 バンド仲間

単なるミーハーおばさんとなっている私ですが、実は高校時代にバンドをやっていた事があります。(と胸を張って言えるほどのバンドじゃぁないけど)
なんと昨日突然この時のメンバーから「飲み会やろう!」というメールをもらってみんなで集まったのです。実に14年ぶりかなぁ・・・
このバンド一応高校の軽音楽部のメンバーが主ではあったのですが「何でこのメンバーになったのか誰も覚えてないんだけど、覚えてる?」と聞かれてそういえば不思議なメンバーだよななんて考えていた矢先「だって、集めたのあんたでしょ!?」のお言葉。「え゛!????私かぁ??」全然覚えてない。(^^;;;;;;う~~ん、確かそうだ、同級生に「ライブハウスでやるんだけど前座でやんない?」とは言われた記憶が・・・・「その話があったから集まったはずだよ」「何でこのメンバーに声をかけたんだ?」って言われても思い出せない。
でも、確実にライブハウスで演奏したと言う事だけははっきり覚えているのですけどね。今から思えばなんという無謀なというか恥知らずだったと言うか怖いもの知らずだったというか・・・あ、私はこのバンドでVocalとアコースティックギターなどをやっておりましたが「あなたがリーダーだったでしょ!」と昨日いわれて「げっ!私ってリーダーだったの?」知らなかった・・・・・・「リーダー=最高年齢者」ならば確かにそうかと情けない納得。ま、全てがこんないい加減なバンドだったわけでその腕は押して図るべし。

まぁ、音楽好きが集まってるわけだから当然の成り行きで最後はカラオケで盛り上がったわけで「おーし!ライブハウスの再現するぞぉ」と当時やった曲を片っ端から入れていきの大騒ぎ。アリスにかぐや姫にイルカに中島みゆき。'70の"フォーク"のオンパレード、とにかくごった煮のような選曲。でもって当時は誰もやろうとは言ってくれなかったTULIPもやっと歌わせてもらえたのでした。めでたしめでたし・・・・

秀ちゃん、ネコ、他メンバーこれ読んでるかぁ??(こんなことやってる事教えるつもりなかったのにうっかりミスでばれてしまったからには開き直り!)楽しかったねぇ、またやりたいねぇ。
デジカメで取った写真送ってねぇ~ここにアップしてあげるから・・・(嘘だよん)

'98.4.30 中古CD

先週の土曜日に近くのショッピングセンターの催し物会場へ出かけた時に中古CDを売っておりました。
こういうのを見るとついつい覗いてしまうのですがなんとその中に「LANDIG BEAM」を見つけてしまったのです。といっても皆さんにはわかんないですよねぇ...(いやこのHPを穴の空くほどじっくりご覧になった方ならどっか記憶に残っているはずなんですが...)森脇健児のアルバムなんですけどね、何とその中の1曲「Non‐stop Moving Time」が上田さんの作詞なのです。なんだかこのCDがまるで私に「買ってくれぇ~~!!」といわんばかりに並んでいたのです。「う~~ん上田さんの詞は見たいけど、森脇健児って好きじゃないしなぁ(ごめんなさい)」散々迷った挙げ句その時は買うのを辞めたのですがその後どうしても気になってしかたありません。
あれから5日目。「よし、もしまだやってたらこれは私に買えっていうことなんだ」そう決めて昨日再びそのお店に行きました。そしたらまだやってたんですねぇ。しかも「本日限り」の張り紙が・・・もうこれは買うしかない!で700円で買ってきてしまいました。歌詞カードに見つけた「上田雅利」の文字。なんだかこれを見ただけでうれしくなって「やっぱり買ってきてよかったんだぁ」と一人納得している私。変ですかねぇ?

そうそう、「LANDING BEAM」を買ったあとから何気にもう一度見たらそこには財津さんの「City Swimmer」までが...まだ会計が終わってなかったら多分一緒に買ったんだろうけどもう一度レジへ行くのもやだしなぁ、LPは持っているからま、いいかと見捨ててきてしまったのだけど...実は「あれも"救済"してくればよかったなぁ」なんて後悔している今なのです。

'98.4.22 Let It Be

またまた内輪話ですが・・・・
学校から帰ってきた息子が開口一番「お母さん今日ね、学校で"Let It Be"かかってたよぉ~~」と報告してくれました。なぜこんな報告を??と思ったら...

私、中学時代に放送部に入っておりました。今と違ってまだまだ「流行歌」の類は学校にはふさわしくないといった風潮が残っていた時代です。でもねえ、毎日、毎日クラッシクばっかりじゃせっかくの放送も耳を傾けてくれるやつはそうそうおりません。(決してクラシックがつまらないというわけではないのです)
ある日放送部員一同で「ゲリラ作戦」を挙行する事に話がまとまりました。「顧問の先生には内緒で放送で流してしまえ!」という事になったのです。で、その突破口として選んだ曲が"Let It Be"だったのです。
いよいよ挙行の当日担当部員はやや緊張気味にレコードに針をおろします。「やったぁ~!かけちゃった」と、そのとたん放送室の隣の職員室から先生が飛んできました。散々お説教されたのは言うまでもありません。
「どうしていけないんですか?」「学校にはふさわしくない」こんなやり取りです。先生曰く「歌詞があるのはいけない」んだそうで・・・・

いまとなっちゃぁ笑い話ですがこんな時代があったのです。何気に話したこんな昔話を息子はしっかり覚えてたんですねぇ。
そういえばやはりBeatlesの"Rock'n Roll Music"かけてた時に「この曲聞いた事ある。小学校の休み時間にかかってる曲だぁ!」って言ってましたっけ。
小4の音楽の授業で「パフ」をスぺリオパイプで演奏する時代ですもんねぇ・・・・・世の中変わったなぁ。なんてう~んすっごく年よりになった気分。
皆さんにはこんな経験ありませんか?

'98.4.20 白馬での大ボケ

白馬でのライブでいっしょだった3人。インターネットを通じて知り合ったメール仲間ですが、初めて会ったにもかかわらず話し始めるととどまるところを知りません。全員がちゃんとSKIもできるようにそろえてきていたはずなのに時間もたっぷりあったはずなのに誰一人「SKIへ行こう」なんて言うやつはおりません。ひたすら「財津さん」「宮城さん」「安部さん」「上田さん」なのです。

年越しライブとあって宿に戻ったのはすでに1時をまわっておりましたが、寝る時間さえもったいなくてとにかくひたすらおしゃべりが続くのです。でも、さすがに5時になるにいたっては「運転して帰らなきゃいけないし少しは寝ておかなきゃ」という事で朝風呂へ行くという友人たちとは別に一人お先に布団に潜り込んだわけです。うとうとと眠りに就いていたところへお風呂へいっていた彼女たちが戻ってきた様子。半分夢の中で「あ、戻ってきたんだなぁ」と気配だけを感じていたのですがとにかく眠いし...と、そんな私の耳に「上田さんが走ってる」のフレーズが...「え゛!?それは一大事!」とばかりにムクっと飛び起きてしまった私。しばしの沈黙の後、彼女たちの大笑いが部屋中に響き渡ってしまいました。「だってぇ~"上田さんが走ってるよ"って起こしたらどう反応するかねって言ってただけだよぉ、どうしてこんなひそひそ声で反応しちゃうのぉ~」
普通に考えれば私たちの部屋からそんなの見えるわけがないのです。たとえ本当に白馬のどこかを走っておられたとしても...(そんなこともある訳もないだろうが)条件反射というのはおそろしやなのです。

でもって彼女たち部屋に戻ってドアを開けたとたんにフラッシュをたいて「急に写真を撮られるとどんな感じ?ちょっとは上田さんの気分を味わえたぁ?」なんてやってくれる実にお茶目な友人たちなのでした。
ライブよりも本当はこっちの方が楽しかったのかもしれないなぁ。またいっしょに行きたいね!

'98.4.10 私事ですが...

ホームページをアップしたころから調子が悪かったマイパソコン。4/1にとうとうHDDが壊れたようで「緊急入院」となりました。パソコン音痴にはこういうことはパニックです。
で半年以上ずっと毎晩パソコンに向かっていたのに「退院」してくるまでの1週間、突然パソコンのない生活に戻ってしまって手持ちぶさたになってしまいました。夜寝るのが早くなったこと...^_^;
やっとパソコンが戻ってきて気になるカウンターの数字を見ようとアクセスしたらちょうど300。知らない間にこんなにたくさんの人に読んでいただいているのねぇ...うれしい。すこしづつでも書き加えていかなくっちゃね。

突然私事ですが我が愚息がめでたく今春中学生になりました。
母親がここ1年Tulipの再結成に浮かれて大騒ぎをしているのを「お母さんが好きなのなら別に我慢しなくてもやりたいことやればぁ。僕は別に困らないから。お父さんは怒るかもしれないけど」などと生意気な口を利くようになった息子です。
息子が通う中学は実は私の母校だったりするわけで、入学式で20数年ぶりに訪れた我が母校、私が在学中に改築工事をやっていたこともあり懐かしい校舎あり、建築中だった校舎ありで思わずきょろきょろしてしまいました。
3年生のときに工事中だった校舎。当時工事現場にサングラスをかけた口元が上田さんによく似た人がいていつも授業中に探してたりしてた私です。ある日他のクラスの人がベランダ越しにその人と話しをしているのを見つけて「よし、私も!」なんてチャンスを待って声を掛けたり...次の日には先生から「仕事中の人に話しかけないように!」なんてお達しが出たっけ。中学時代といえば後半は完全にTulip一色だったわけで3年生の1年間すごした教室の窓を見ながら「あそこのベランダでよく友達と騒いでたなぁ」なんて息子そっちのけで自分の思い出に浸ってしまいました。

'98.3.31

おとといあたりからあちこちでホームページのアドレスをお知らせしてますが昨日でもうカウンターが50に届きそうでびっくりです。(そのうちの10回分くらいは動作確認で自らGetしてるんですけどねぇ(^^ゞ)
自分で作成したものを皆さんに見ていただくのってうれしいような恥ずかしいようななんだか「くすぐったい」感じです。レスをつけていただくとほんとにうれしくて「ホームページ作ってよかったぁ」って思ったりするのです。
多くの方との出会いをいただけるなんてやっぱり上田さんに感謝をしなくっちゃ!