上田さんのいなくなったTULIPです。
上田さんがいなくなったからといって「メロディーメーカー」がかわったわけではありません。相変わらずTULIPの曲は財津さんと姫野さんが主に書いていたのです。そして演奏する曲だって1期のものもあるのです。あれだけ好きだった音楽が演奏する人2人が変わったからといってそんなに変わるわけがない。そう自分に言い聞かせて「あこがれの中野サンプラザ」のライブを見に行きました。1週間同じ会場でやるというライブ。年に1度見に行ければ「バンバンザイ」だったローカル人にとってはその気になれば連続で4回も5回も見に行ける環境というのが信じられないくらいうれしかった。そして、田舎じゃ前のほうのチケットばかりをゲットしてきた私にとって真ん中より後ろのチケットでも取れればいいという東京のコンサートの現実も味わったわけで…


'80.11.23,24中野サンプラザ

 あれほど憧れた「サンプラザ」でのコンサートです。
 一日目は当時付き合っていた「彼氏」と行きました。「ミーハー行為」を非常に嫌う奴でした。私と言えばいつもなら椅子に座りながらでもリズムに合わせて体を動かしてしまうし、「ヒュ〜〜〜」など声を上げてしまう奴なので「これじゃ楽しめないかもしれないぞ」とちょっと心配だったのです。
ところが…いざライブが始るといつもとはまるで違いとても「冷静」にステージを見ている自分がいました。今まで体験したことのないステージとの距離感のせいでしょうか?それともやっぱり隣に座る彼のせい?何かが違う、おかしい?????とにかく頭の中は「?」だらけです。
1期のおなじみの曲を聞くうちに「ここのドラムのおかずが違う!」そればかりが気になってきます。Tulipのドラムの音はこんなに重くなかったぞ!もっとたくさん「タイコの音」があったぞ!なんだか変なんだか違う…曲そのものよりもドラムの音だけがやたらと耳についてきます。Tulip初体験の彼に向かって「ここはねぇこんなかんじだったんだよねぇ」…彼いわく「おまえがそういうファンだからコンサートに付き合ってやったんだ」と「へ?これもなんか違う」

 2日目は私一人。コンサートの喜びを分かち合える友人がいないということがこんなに淋しい事だったなんて…コンサートへ一人で出かけるなんて初めての事でした。
結局いま、当時のやった曲で覚えているのは確か当時の新アルバム「The Love Map Shop」の中の曲ばかり…「遅れる時計」はなぜか会場のトイレの中で聴いていたような・・・この記憶ってなんなんだ?「さよならの真ん中で」「日曜の風景画」うん、うん、好きになれる曲だなぁ。
初めて見る新生チューリップのメンバー。ドラムの伊藤さん、ごめんなさいドラムがやっぱり違うんです。あ、でも歌声はソフトで暖かくてステキだったなぁ。ベースの宮城さん、吉田さんとはまるで違ったタイプのべーシストですねぇ。楽器演奏の技術的な事はよく分かりませんが指で弾くんですね。チューリップって演奏のテクに走るバンドじゃなかった気がするんだけどなんだかベースの音が「マニアック」になった気がしました。(げー情けない表現)確実に今までのチューリップとは違う!やっぱり「若返った」のかなぁ…財津さんも姫野さんも安部さんもそこにいるのに…でも、私の知ってるチューリップじゃない…

 結局私の頭の中はコンサートの間中「上田さんがいない…上田さんがいない。いつもならあそこに上田さんが座ってるんだ」そればかりを考えていたような気がします。

 いえ、ライブがつまらなかったんじゃないんです。久しぶりに見たTulipなのに、あんなに楽しみにしてたTulipだったのに「我を忘れられなかった」自分にちょっととまどっていたのです。


'81. 5.30 八王子市民会館

 当時は八王子市民でした。上田さんがいなくなってすっかりテンションは下がっていましたが“地元”に行かない手はないぞと出かけたライブ。東京なのにローカルっぽい雰囲気。なんだかそんなことが不思議だった記憶だけが・・・

 んで何を覚えてるかといえばLIVEのことはちっとも覚えてなくて“待ち”をしようとした記憶もないのに何故かタクシーに乗って帰る姫野さんの姿だけが目に焼き付いていたりするのです。帰りのバスを待っていた時の偶然だったのか信号待ちで私の目の前でタクシーが止まって後部座席に座っておられた姫野さんと一瞬目が合って・・・こんな時ってどう反応していいものやら困ると言うのを実感した瞬間でした。思わず“会釈”したような・・・全然知らない奴に会釈されても困るよねぇ・・・姫野さん。だったのでした。


'82. 8.14 LIVE ACT TULIP 1000th:よみうりランド

 鈴蘭だって田コロだって野外ステージへはいったことなかったしやっぱりTULIPファンを自認するならこれは行かなきゃ!と珍しくはりきってチケット発売当日に公衆電話からtelしまくって繋がったのが15分後。それで取れたチケットはCブロック。それがいったいどのあたりなのやら見当もつかなかったけど「どーせ繋がったのが遅かったし後ろだろう」なんて思っていたらなんと多少端の方ではあったけど安部さん側の前から6列目。こんなおーーーーきな会場でまさかこんなに前の方なんてラッキー!!だったのでした。

チケット座席番号

 せっかくのよみうりランドがTULIP一色だったのに一人で出かけた私は何を見てもちっともウキウキした気分になれなくてやっぱりそこには上田さんがいなくって・・・
 何かの“座談会”みたいなのを見ていた時に会場から出た質問「上田さんは今どうしておられるのですか??」・・・その頃の上田さんはちょうどTONYを解散した直後で“行方不明”だったしものすごく期待して答えを待っていたら「ずっと六本木のPITINNとかライブハウスでやってますよ」・・・私がぴあとかチェックしてた限りではそこじゃやってないぞ!とすごくがっかりした記憶だけ・・・・
 ぢつはその時にボケーっとステージを見ていた私の後ろ姿が“新譜ジャーナル”に載ってしまいました。そこに上田さんがいなかったからいいやって買わなかったけど・・・

 1000回の大半に上田さんがいたのにまるでそんなこと無かったかのようにまるでそういう記憶を抹殺したいかのように動いてるようで寂しかった記憶が大きいんだよね。・・・

 もちろん、コンサート自体は楽しかったです。一人だろうが上田さんがいなかろうが関係なく!これはもうしっかりちゃんとした音源や写真集などが残っているので私の下手な説明など要らないでしょう。


'84. 1.30 幻に終わった中野サンプラザ

 確か“I Drem”のツアーだったと思います。サンプラで1週間4,5日くらいの公演があったはず・・・(覚えてない!)その中の1日だったのです。
 
なんで“幻”なのか・・・
 雪が降ったんです。めったに降らない東京に・・・・仕事が終わって終業チャイムと同時に会社を飛び出して電車に乗ったのに・・・・電車は国分寺で止まったまま・・・コンサートが始まる時間になっても動かない7:00過ぎても動かない・・・・これから動いても会場に着く頃にはきっとアンコール・・・あげく帰れなくなったら寮の門限にも間に合わない・・・泣く泣く引き返してきたのでした。
 バスも無くて迎えに来てもらった“彼”(何のことはない今のダンナ(^^;)には「こんな日に行く気になる方が間違ってる」ってバカにされるし、踏んだり蹴ったりだったのです。

 翌日無駄な努力と思いつつ主催者側にTel「あの・・・電車が止まっていけなかったんですけど立ち見でいいですから昨日のチケットで入場は出来ませんか?」・・・「コンサートは成立していますので無理です。」

 行っていたら結果的に私にとっては“最後のTULIPのライブ”になるはずだったライブでした。
そんなわけで解散前の最後のTULIPは1000thだったというお話。